スイッチ.3
深夜0時、カレンダーを見て春休みまでの日数を数えていると、西沢さんからメールが届いた。
『夜遅くにごめんね。一つ気になって…。あのサイトは慰霊って書いてたけど、やっぱり西郷は死んでるんだよね?』
まあ、そうだ。少し返信に迷ったが、とりあえず何の気なしに返すことにした。
『そういうことでしょう。そう言えば、土曜日なので早めに行きます。勉強もやりますが、明日出来ることは考えておいてください。』
送信を押して、電源を落とした。
さっさと寝てしまおう。部屋の電気を消し、ベッドのふちに座って考え事をしてから横になった。その瞬間部屋の外から足音がした。兄貴がいやがったか。だが兄貴が俺を止める気配はない。goサインと取っておこう。
3 聞き込み
やはり朝はまだ寒い。お気に入りのフード付きのトレーナーを着て適当なジーパンをはいた。勉強道具やメモに地図帳。役立ちそうなものはリュックに放り込んだ。
玄関を開けようとしたところで兄貴が声をかけてきた。
「いってらっしゃい。しっかりやってくるんだぞ。」
勉強のことか、捜査のことか。
「…おうよ。」
やけに心配そうな目に腹が立って、ドアを勢いよく閉めた。
「やぁ、みっくん待ってたよ。」
いつもの挨拶。
「どこに行くか決めましたよね?」
「もちろん。この近所に住んでる米沢さんの家から行こうと思うんだ。もうアポもとってるよ。」
「そうですか。それじゃあ早速行きましょう。」
俺としてはもう今日のうちにやれるところまでやるつもりだ。早く行くに越したことはない。
インターホンを鳴らすと、すぐに米沢さんが出てきた。
「どうも、米沢信之と言います。」
「わざわざ時間を割いていただき感謝します。西沢英一です。」
西沢さんが丁寧に礼をするから俺もとりあえず頭を下げた。
米沢、どうやら少し動揺しているようだ。そりゃあそうだ。西郷について話せば殺されかねないのだ。しかし、それ以外もあるだろうから俺が代わりに観察してやろう。
リビングに通され、紅茶を出された。ティーカップの中がやけに揺れてるのも見逃さなかった。
「お二人は、西郷について調べているのですね。」
「はい。」
「私は高校時代彼と同級生で、言い難いのですが、彼を虐めていた主犯格の1人です。」
「ふむ。それではどうして、あなた方は彼を虐めていたのですか。」
「変な話ですが、わからないのです。もはやそのような文化になっていたと言うのが一番近い表現かもしれません。私は高校からでしたが、恐らくもっと前からだったのでしょう…。」
「恐ろしいものですね。」
「…はい。この際ですから正直にすべて話させてください。実は虐めていた人間や関係者が変死し始めるまで、私たちはまだ彼のことを蔑んでいました。あのテロはやっぱりアイツがやったのか、と。死んでせいせいしたと。」
「やはり西郷が犯人なのですか!?」
「ええ。きっとそうです。」
少しムカついたから、意地悪な質問をしてみるか。
「で、その根拠は?」
「根拠は無いですよ。しかし、現実に西郷はもういなくて、その上あんなことをするような奴は西郷しかいないに決まっていますから。」
「そうさせた本人達の一人がよく言ったもんですね。」
嫌味を言ってみるとやはり少し怒ったような顔をした。
「今日のところはこのくらいにしておきましょうか。もう出ていってください。」
「貴重な話をありがとうございました。では。」
西沢さんが立ち上がったから俺も立ち上がった。無言だからか短い廊下でパタパタとスリッパがうるさい。一礼して戸を閉めた。
「みっくん、どうしてあんなことを言ったんだよ。」
少し怒った声。臆する必要も無い。
「自分を被害者にすり替えて、その話し方に腹が立っただけですよ。」
「…まったく。さぁ、次に進もう。」
「えー、次は誰ですか?」
「大原澄子。中高が同じだったらしいんだ。」
女性か。おそらく虐めの主犯格ではないはずだ。
「さ、行こうみっくん。」
神無崎駅から二つ先の三室町駅から徒歩10分。少し入り組んだ通りを抜けると大人しめな見た目の洋風の豪邸が建っていた。
少し大きな門についたインターホンを鳴らす。『はい。今すぐ』と女性の声がした。澄子本人だろう。
しばらくすると門が開いた。少なくとも母より綺麗な女性が顔を出した。
お決まりの挨拶を済ませると、客間に通された。
「さて、突然ですが、本題に入らせていただきますね。」
「はい。どんなことでも答える覚悟です。」
本当だろうか。疑ってかかることにした。
「えー、先ほど米沢さんの家にお邪魔して少し西郷について伺ったんですが、彼は虐められていたそうで。具体的にどんな虐めだったか、教えてください。」
ひとつ大きく息をして澄子が語り始めた。
「漫画だとかアニメで見るような、そんな在り来りでそれでいて残酷な虐めでした。殴る蹴るは当たり前で、毎日古い痣が見えなくなったと思ったら新しい痣をつくってました。他にもパシリやタカリ。死ぬ寸前まで首を吊らせてみたり、廊下の雑巾がけを雑巾3枚ごとに二往復させたかと思えばその雑巾を絞ったバケツたっぷりの汚水を一滴残らず飲ませた挙句にバケツの隅々まで舐めさせたり…。それに、1度二階の窓から突き落とされたりもしていました。」
なんと残酷なことを簡単につらつら並べるもんだ。こんなにも残酷なことが文化のようなものと言ったのか、あの男は。
「本当に、酷いものですね…。」
「はい…。今さら言うのも身勝手なものですけど、実は私は彼のことが好きだったんです。いつもあんなにも虐められるのに、私が困っていた時笑顔で助けてくれたんですよ。私はあの虐めを止めたかった。でも、できなかった。怖かったんです。次は自分が虐められるのではないかと。もし私が声を上げていたら…、彼は、あんなことをする必要は無かったんです…。」
そうか。この人は虐めを目の当たりにしたショックで簡単に内容を話せてしまったのか。その上好きだったとなれば、相当ショックだっただろう…。
「大原さん、自分を責めないでください。きっとそう思っててくれただけでも、彼は救われていますよ。」
西沢さんがそう言うと、澄子がガタンと立ち上がった。
「言葉にしない限り、愛でも慰みでも伝わらないのです!!何一つとして救えないのです!!!」
大きな叫び声。自責か懺悔か。ボロボロと涙を零し始めた。
「西郷くん…ごめんね…」
ハンカチで顔を押さえながら何度も呟く。この人を疑う必要はなかった。
澄子は落ち着いたのか、しばらくしてまた話し始めた。
「彼は高三の頃には完全に死んだ目をしていたわ。表情も無く、歩く屍のようだった。でも、もっともっと前、もしかすると私が彼に出会う前から死に始めていたのかもしれない。」
「…このことは学校や学校近辺で話題になったりしましたか?」
「いえ…、おそらく学校がひた隠しにしていたのでしょう。酷い話です…。」
結局あの後特に話は出てこず、思っていたよりも早く聞き込みは終わった。
「西郷…大変な人生だったんだな。」
「ですね…」
日が傾き始める。また明日と、疲れを癒すように風が吹く。春休み前の日曜日。どこまでやれるだろうか…。